横井小楠と出会った人々

幕末の人々 坂本龍馬 勝 海舟 吉田松陰 高杉晋作
熊本の人々 徳富一敬 内藤泰吉 横井大平 元田永孚
福井の人々 松平春嶽 由利公正 橋本左内
そのほかに 徳川慶喜 岩倉具視

横井大平

よこいだいへい(1850−1871)小楠の甥。渡米後、熊本洋学校設立に尽力。

小楠の兄の子。兄左平太と共に、坂本龍馬の2回目の四時軒訪問時に、勝海舟に弟子入りした。

慶応2年(1866)、当時、渡米は、国禁だったため、変名でに渡米した。莫大な費用は門人達の私財の処分等の工面によった。

この時、小楠は

堯瞬孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を盡くす
何ぞ富國に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ
心に逆らうこと有るも人を尤ること勿れ
人を尤れば徳を損ず
為さんと欲する所有るも心に正にする勿れ
心に正にすれば事を破る
君子の道は身を脩むるに在り

の詩を贈っている。

病気のために一人で帰国したが、野々口又三郎らと熊本洋学校設立に尽力。西洋人を教師として招くために奔走した。洋学校の教師として、ジェーンズが招かれたが、過労のためジェーンズに会うことなく明治4年に亡くなった。熊本洋学校では、同志社総長となった海老名弾正等、日本キリスト教の先駆者達を多く輩出している。

兄、左平太は、帰国後、元老院権少書記官に就任したが、明治8年に亡くなった。