横井小楠と出会った人々

幕末の人々 坂本龍馬 勝 海舟 吉田松陰 高杉晋作
熊本の人々 徳富一敬 内藤泰吉 横井大平 元田永孚
福井の人々 松平春嶽 由利公正 橋本左内
そのほかに 徳川慶喜 岩倉具視

元田永孚

もとだながざね(1818−1891)小楠らと実学党をつくる。「教育勅語」を起草。

熊本城下山崎町生まれ。

小楠、長岡監物、萩昌国らと、朱子学を中心とする研究会を始めた。これが、後に実学党と呼ばれるグループの形成へとなっていく。

「前に古人なく、後ろに今人なし」と小楠を評している。

小楠は、慶応元年(1865)「西洋の学は、ただ事業上の学問にすぎない。かれらの学意によれば、事業はますます開けるが、心徳の学がないので、人情を解せず。したがって、交易上の談判にしても、事実や約束だけを盾にとって理づめでくるので、ついには戦争となる。人情を知っていれば、戦争の惨禍はさけられるはず。」などと元田に語っている。

小楠は、私塾では筆記を認めなかったので、小楠に関する文献が少ないといわれている中で、慶応元年の会話を元にした著書「沼山閑話」は、「北陸土産」(安政5年1858)と共に、小楠研究の貴重な文献となっている。

維新後、宮内庁に入り、宮中顧問官になる。

熊本出身の井上毅(1844−1895。時習館で学んでいた元治元年(1864)に小楠を四時軒に訪ね、その時の対話を「沼山対話」として著している。大日本帝国憲法の起草にもあたっている。)と共に、「教育勅語」を起草した。