横井小楠と出会った人々

幕末の人々 坂本龍馬 勝 海舟 吉田松陰 高杉晋作
熊本の人々 徳富一敬 内藤泰吉 横井大平 元田永孚
福井の人々 松平春嶽 由利公正 橋本左内
そのほかに 徳川慶喜 岩倉具視

松平春嶽

まつだいらしゅんがく(1820−1890)越前藩第16代藩主。名は慶永。

横井小楠を福井に招聘。政事総裁職として活躍。

安政4年、小楠の書簡を村田氏寿に見せてもらった春嶽は、その思想に共鳴し、小楠を越前藩に召請することとした。しかし、肥後藩は、当時酒失事件で処分中であった小楠を、他藩で登用する事に反対した。度重なる春嶽からの要請に、その都度「酒癖」などを理由に拒絶したが、最後は、春嶽の執拗な要請に根負けした。

なお、春嶽の妻は、肥後藩主細川斉護の娘、勇姫である。

小楠は、当初越前藩の藩校で教えたり、藩政の相談役として活躍した。文久2年(1862)、春獄が、政事総裁職への要請を、小楠のすすめで引き受け、将軍後見職の徳川慶喜と共に、幕政の改革にのりだすと、小楠は、その指南役として江戸へ赴いた。

この時、政治改革の指針として「国是七条」を提出した。

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
1.諸侯の室家を帰せ。
1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
1.相対交易をやめ官交易となせ。

これは、参勤交代などの無駄な出費を抑え、海軍を増強の増強を図る。人材を多方面から活用し、議論を通して政治を行う。というのが柱であった。保守派の抵抗もあったが、参勤交代の廃止等が決定された。

その後、朝廷の鎖国攘夷の要求に対し、春嶽・小楠は、それまでに外国の圧力で結んだ条約を一旦破棄し、全国の大小名を集め、将来の日本について議論し、自らの意思で開国を行う、という事を提案したが、慶喜の反対で実現しなかった。

新政府では、岩倉具視らと議定に任命された。