小楠と小説「竜馬がゆく」

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司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」で、竜馬に小楠はどのように関わっているのか、まとめてみました。読みすごしもあるかと思いますが、ご指摘いただければありがたいです。

引用本 文春文庫「竜馬がゆく」 著者:司馬遼太郎 発行所:文藝春秋社 1999年6月第4刷

7巻

(P202)
 明治風の言葉でいえば、中岡は国権主義者であり、竜馬は民権主義者であるといえるだろう。竜馬が維新史の奇蹟といわれるのは、この倒幕以前にすでに共和制度を夢み、自由民権思想を抱いていたということであろう(むろん、竜馬の知識には仕入元がある。勝海舟、横井小楠が竜馬にとってそういう知識の雑貨屋的存在であり、またかれがそれらの知識と思想を実際にたしかめたのは、この長崎で、外国商人とつきあうようになってからであった。)

慶応 2(1866)年12月25日 孝明天皇死去
中岡慎太郎は、庄屋の長男として生まれる。脱藩した後、長州藩と行動を共にし、久坂玄瑞、高杉晋作らと交流を深める。防府にいた公家三条実美の衛士を努めた。龍馬は郷士の生まれ。脱藩した後、勝海舟、横井小楠らと交流を深めた。交流する人々、そのまわりでの様々な経験が、二人の思想に影響を及ぼした。しかし、徳川幕政を終わらせ、新しい時代を切り拓くには、外国との闘いを経験した薩摩と長州が手を結びことが重要であることで二人の考えは一致し、協力して薩長同盟を実現させた。

(P410)
「八策ある」
 と、竜馬はいった。
 海援隊文官の長岡謙吉が、大きな紙をひろげて毛筆筆記の支度をした。
「言うぜ」
 竜馬は長岡に合図し、やがて船窓を見た。
「第1策。天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事」
 この第一条は、竜馬が歴史にむかって書いた最大の文字というべきであろう。
 ・・・・・・・・・
「第2策。上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」
(中略)
「第3策。有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事」
「第4策。外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事」
「第5策。古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事」
「第6策。海軍よろしく拡張すべき事」
「第7策。御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事」
「第8策。金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事」  
 後藤は、驚愕した。
「竜馬、おぬしはどこでその知恵がついた?」
「知恵か」
 思想の意味である。
 竜馬は、苦笑した。後藤のような田舎家老にいっても、ここ数年来の竜馬の苦心は理解してもらえない。
「いろいろさ」

慶応 3(1867) 年6月9日 夕顔艦で後藤と共に長崎を発し上京。「船中八策」を提案する。
これより4年前、文久2(1863)年、松平春嶽が政事総裁職に就くと、春嶽のブレーンとして幕政に参加した横井小楠は、幕政改革の方針を、「国是七条」として建議した。
1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
1.諸侯の室家を帰せ。
1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
1.相対交易をやめ官交易となせ。
龍馬は、この小楠の考えについては、当然に小楠から聞いていたし、議論もしていたと思われる。この考えを基に、徳川幕政が終わり迎えた時に、時代に沿って発展させた考えを発した。