横井小楠の幕末

幕末の歴史 幕府への登用 士道忘却事件 国是七条
龍馬の訪問 参勤交代制廃止 「攘夷三策」
国是七条(小楠)から船中八策(龍馬)・五箇条の御誓文(由利)へ

幕末の歴史

年 号 西暦 事 項
嘉永2 1849 福井藩士三寺三作、小楠を訪ねる。
米艦、長崎へ。
嘉永4 1851 諸国遊歴。福井にも滞在。
嘉永5 1852 「学校問答集」を執筆。福井藩に送る。
イギリス船、琉球に来航。
ロシア船、下田へ入港。
嘉永6 1853 小川ひさと結婚。小楠45歳。
吉田松陰、熊本に小楠を訪ねる。
ペリー浦賀へ、国交を要求。
老中・安部正弘、米の国書に対し、諸大名・幕臣に広く意見を聞く。
ロシア長崎へ、国交を要求。
安政元 1854 兄、時明病死(享年48歳)。小楠家督相続。
ペリー再来。
吉田松陰、米船にて密航を図るが失敗。
日米和親条約。
日英和親条約。
日露和親条約。
安政2 1855 沼山津(四時軒)に転居。長男死去(生後3ヶ月)。妻ひさ病死。
『開国図説』によりいよいよ開国を主張
仏・オランダと和親条約。
江戸大地震、藤田東湖死去。
「板書調書」「講武書」「海軍伝習所」設立。
吉田松陰、「松下村塾」を開く。
老中、堀田正睦に。
安政3 1856 矢島せつと再婚。
ハリス、下田着任。
徳川家、世襲騒動。
慶喜擁立派(松平春獄ら)と慶福擁立派(井伊直弼ら)の対立。
安政4 1857 福井藩士、村田氏寿、来熊、小楠を福井へ招聘する。
ハリス、将軍に謁見。
下田条約
安政5 1858 小楠、福井へ。その後、福井と熊本を行き来する。
井伊直弼、大老に。
日米修好通商条約に調印。
露・オランダ・英とも条約調印
家茂(慶福)、14代将軍に。
安政の大獄始まる。
慶喜・春獄・山内容堂ら、慶喜擁立派大名は謹慎処分。
安政6 1859 吉田松陰・橋本左内らは死罪。
越前藩、「物産商会所」開設。
万延元 1860 越前藩へ「国是三論」。
高杉晋作、福井に小楠を訪ねる。
勝海舟、福沢諭吉ら、「咸臨丸」で米国へ。、
桜田門外の変で、井伊直弼、暗殺。
慶喜・春獄・容堂ら、謹慎処分解除。
文久元 1861 (2月)ロシア艦隊、対馬を占拠。
(4月)小楠、福井より江戸へ。松平春獄と始めて対面。
(10月)小楠、熊本沼山津へ返る。禁猟区で発砲事件起こす。
薩摩藩、島津久光、1000の精兵で熊本を通り京へ。
文久2 1862 (4月)寺田屋騒動。
(6月)由利公生、小楠を迎えに熊本へ。
(6月)小楠、福井へ向かうが、松平春獄の迎えにより急遽江戸へ。
(7月)春獄の相談に対し、政事総裁職に就任を勧める。
(7月)大久保一翁を訪ね幕府に建策を行う。
(7月)松平春獄が政事総裁職に就任。慶喜は将軍後見職に。
(7月)幕府へ「国是七条」建議する。
(8月)小楠、大目付岡部長常に「国是七条」について説明を行う。
(8月)小楠は、慶喜と最初の会見。
(8月)坂本龍馬と最初の出会い。龍馬、小楠を師とする。
(8月)同じころ坂本龍馬、勝海舟に会い意気投合。弟子となる。
参勤交代の廃止等が決定された。
(8月)生麦事件。
(12月)「攘夷三策」を建議。
(12月)士道忘却事件。
文久3 1863 (1月)慶喜、京へ。
(3月)将軍家茂、京へ。
越前藩、大挙上洛計画。
(5月)長州藩、英・蘭船を砲撃。
(6月)英・仏軍艦、下関砲撃。
(7月)英軍艦、鹿児島を砲撃。(薩英戦争)
(8月)攘夷親征布告。
(8月)小楠、熊本へ。
(12月)士道忘却事件判決。知行召し上げ、士籍剥奪。
元治元 1864 坂本龍馬、四時軒を訪問。「海軍門答書」を海舟に。
池田屋騒動。
慶応元 1865 坂本龍馬、薩摩からの帰途四時軒を訪問。
高杉晋作、挙兵。
慶応2 1866 薩長同盟成立。
甥横井佐平太・大平、長崎から米国へ。(大義を四海に)
将軍家茂、死去。慶喜、将軍に。
孝明天皇、死去。
慶応3 1867 睦仁親王、天皇に(明治天皇)。
龍馬、「船中八策」表す。
土佐藩、大政奉還を建白。
慶喜、大政奉還。
朝廷、「王政復古」を宣言。
小楠、朝廷より召命。
明治元 1868 鳥羽・伏見の戦。
西郷・海舟の会談で江戸城無血開城。
朝廷より再度の召命。士籍回復。上京。
小楠、従四位下に叙せられる。
五箇条の御誓文
江戸を東京に
明治2 1869 1.5、小楠、暗殺される。(享年61歳)天皇東京へ