横井小楠の幕末

幕末の歴史 幕府への登用 士道忘却事件 国是七条
龍馬の訪問 参勤交代制廃止 「攘夷三策」
国是七条(小楠)から船中八策(龍馬)・五箇条の御誓文(由利)へ

国是七条(横井小楠)から
船中八策(坂本龍馬)、
五箇条の御誓文の草案(由利公生)へ

国是七条 (文久2年、1863) 横井小楠

文久2年(1863)、松平春嶽が政事総裁職に就くと、春嶽のブレーンとして幕政に参加した横井小楠は、幕政改革の方針を、「国是七条」として建議した。

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
1.諸侯の室家を帰せ。
1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
1.相対交易をやめ官交易となせ。

小楠は、この年の12月に襲われ、その時の態度を「士道忘却事件」として、肥後藩より糾弾される。一旦福井へ帰り、その後、熊本へ帰藩して、文久3年(1864)に、士籍剥奪の処分を受ける。

しかし、その思想は、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らが幕政改革、討幕、新政府へ、のエネルギーとして受け継いでいった。

船中八策 (慶応3年,1867)坂本龍馬

慶応3年(1867)6月9日、坂本龍馬は、もはや幕府による改革に限界を感じ、薩摩・長州による討幕を推し進め、朝廷中心にした国内統一を図ろうとした。そして、長崎より京都への船中で、新しい国の体制に就いて後藤象二郎に意見を述べたのが、「船中八策」である。

1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
1.上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。
1.有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
1.外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事。
1.古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
1.海軍よろしく拡張すべき事。
1.御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。
1.金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。

龍馬は、この年の11月1日、新政府の財政担当として、由利公正を招くべく福井へ赴き、新政府の財政のあり方について考えを聞き、感服する。

それから、2週間後の11月15日に、暗殺される。

五箇条の御誓文の草案 (慶応4年,1868)由利公生

由利公生(三岡八郎)は、藩論の対立から、文久3年(1864)8月より蟄居の処分を受け、幽閉された生活を送っていた。そこへ、突然の龍馬の訪問であった。しかも、新政府に財政担当として参加して欲しいとの要請であった。

新政府の参与となった由利公生は、資金作りに太政官札を発行することとした。太政官札を通用させるには新政府の信用が必要である。そのためには、新政府の方針を広く世間に示すことだと主張、自ら草案を作り示した。

1.庶民志を遂げ人心をして倦まさらしむるを欲す。
1.士民心を一つにし盛んに経綸を行ふを要す。
1.知識を世界に求め広く皇基を振起すへし。
1.貢士期限を以って賢才に譲るべし。
1.万機公論に決し私に論ずるなかれ。

文久3年(1864)4月、坂本龍馬は、勝海舟の使いで越前藩の松平春嶽を訪れる。海軍の軍資金の調達であった。このころの越前藩は、横井小楠の教えを受けた由利公正らが運営していた「物産総会所」によって、莫大な利益を得ていた。龍馬は、横井小楠の尽力もあって、多額の軍資金を、松平春嶽より得ることが出来た。

龍馬は、夜、小楠を訪ねた。竜馬の訪問を受けた小楠は、同じ足羽川沿いにある由利公正の家を訪ねた。小楠・龍馬・由利の3人は、1晩、国を憂い、大いに飲み、大いに語らい、歌った。

龍馬の歌

君がため捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末え

「船中八策」で、新しい国の方針を示した龍馬は、新政府に参加すべき人々として、三条実美、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、後藤象二郎ら討幕の中心にいた人たちと共に、幽閉生活を送っていた横井小楠、由利公生をあげた。

慶応4年(1868)、文久3年(1864)に、それぞれ越前藩・肥後藩より処分を受け、幽閉生活を送っていた横井小楠と由利公生は、新政府の参与として招かれた。