横井小楠ゆかりの文化施設

横井小楠記念館 | 徳富記念園 | ジェーンズ邸

洋学校教師館(ジェーンズ邸)

熊本市水前寺公園22−16  地図

『古い西洋館にはブェランダがついている。
熊本に宣教師の家として建てられたジェーンズ邸は明治維新から四年後、東京の西郷山に作られた・・・・』
岩波新書「日本の近代建築(上)」の書き出しである。

日本に最初の作られた洋風建築は、プェランダコロニアル様式といわれる建物である。この様式は、当時ヨーロッパ本土にはなく、赤道に近い、インドをはじめとしたイギリスの植民地で、暑さと風土病対策として建てられたのが始まりという。その代表的な建物として、ジェーンズ邸がある。

ジェーンズ邸は、日本赤十字発祥の建物でもある。

『わが国における博愛社(日本赤十字の前身)の創設も、明治十年の西南戦争救護にさかのぼることができる。元老院議官佐野常民は、明治十年五月一日に、熊本城内の総督本営を訪れ、征伐総督有栖川織仁親王殿下に、両軍の戦傷病者救護のため「博愛社」の設立を懇請し、直ちに内諾を得ることが出来た(正式の許可は五月三日)。なお、当時の総督本営の建物は、肥後藩主であった細川護久侯が、外人教師ジェーンズを迎えるために、明治四年九月に建築した、洋式の建物であった。(「日本赤十字社熊本支部史」より)』

ジェーンズは、明治4年より、5年間にわたり、洋学校の教師として、ここで生活を行った。洋学校の授業は、英語・算術・地理・歴史・代数・体操という科目であった。授業は、すべて英語で行われた。第一期生四十六人のうち、四年に進級できたものは十五人であったという。

洋学校では、同志社総長となる海老名弾正、徳富蘇峰、横井小楠の子で同志社社長になる横井時雄等が学んでいる。

日本で最初(?)の男女共学も、この洋学校である。横井小楠の娘みや、徳富一敬の娘初子が学んでいる。海老名弾正はジェーンズに、男女共学反対を申し込んだが、「君のお母さんは男かね女かね」と反論され、ほうほうの体で帰った。海老名弾正は、その小楠の娘みやと結婚している。

同じ敷地に、夏目漱石の第3の旧居も、新屋敷から移築保存されている。

この家の持ち主は、明治・大正・昭和の三代、天皇の侍従を務めた落合東郭(おちあいとうかく)。東郭は、横井小楠とともに実学党を構成した元田永孚の、娘の子供にあたる。「吾が輩は猫である」に登場する、多々羅三平のモデルとされる股野義郎も、この家に寄食していたといわれている。

休館日:月曜日、年末年始、夏期曝書期間(詳しくは直接お問い合わせ下さい)

電話:096−382−6076